十牛図とは?
牛は本当の自分や悟りの境地を表すたとえです。それを求めて旅する牧人を通し、禅の深まりを表しています。瞑想を深める過程を伺い知ることができます。
1.尋牛(じんぎゅう)
仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。
牛を探す旅に出るが疲れるばかりで何も見えない。
悟りの境地を見つけたいと思ったものの、どうすればそこに行けるのかわからずさまよっている状態。
2.見跡(けんぜき/けんせき)
経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
探していると牛の足跡を見つけた。
先人達が残した文献を読んだりして研究し、師の教えを受けると、ようやく修行の方向性や方法がわかった。
3.見牛(けんぎゅう)
行においてその牛を身上に実地に見た境位。
ちらりと牛の姿が見えた。
偶然にも悟りの境地を垣間見た状態。でもまだつかんだわけではないので、すぐに見失う恐れがある。
4.得牛(とくぎゅう)
牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。
ついに牛を捕まえたが逃げられそうだ。
瞑想が深まり悟りの境地をつかんだが、気を抜くとすぐに感じられなくなる。努力でその境地にとどまっている段階。
5.牧牛(ぼくぎゅう)
本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。
飼ううちに牛もようやく慣れてきた。
前のように必死にコントロールしなくても、わずかな努力で瞑想の境地を保てるようになった段階。
6.騎牛帰家(きぎゅうきか)
心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。
牛に乗って家に帰る。
牛と完全に一体になって家路についている。意識しなくても悟りの状態を保ち、それを楽しむことができている段階。
7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)
家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。
家で牛の存在を忘れている。
本当の自分に還れるようになったら、本当の自分や悟りに対する執着もなくなり、ありのままでいることができている状態。
8.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)
牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。
心が完全な空の境地に達した。
本当の自分や悟りに対する執着さえ手放した時に瞑想をすると、心が空っぽになる。ただただ深い静寂に満たされている。
9.返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)
何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。
自然に還る。
心が再び動き始めても、もはやそれを自分の心として他の現象と区別することがなく、すべてを自然の営みとして平等にただ観ている。
10.入鄽垂手(にってんすいしゅ)
悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。
普段の暮らしに戻る。
自然に振る舞い、自然に動くものの、そこにはエゴがなく、多くの人に接しているだけでその人達を癒やし、役に立っている状態。